一緒にいてくれる。前より近くなる存在へ・・・。

あるご縁から、何年もやりとりが続いている、ある修道院のシスター。
宗教を越えて、人として、ひとりの女性として、その強い生きざま、仕事に向かう姿勢を心から尊敬し、台風の中、雨の中、会いに出かけた。遠藤周作が愛した外海での出会い。まさに、フランス宣教師として長崎で奉仕の生涯を送られたド・ロ神父が残された一台のオルガンが導いてくれたご縁だと思っている。
会う回数こそ少ないけれど、素朴なやりとりを重ね、今日にいたっている。
このたびの母の旅立ちについて、キリスト教では帰天と言われるが、心を込めた祈りを捧げてくださり、母は幸せだと、そう語ってくださった。
そして、ご自身の経験を踏まえて、大切な人の死は、時間とともに、その存在は近くなるはず・・と教えてくださった。実際、シスターのお父様が10年前に亡くなられ、それからご自身がそう感じておられるとのこと。
「なんか、父がずっと一緒にいてくれているような、前より近くなっているようなそんな気がするのね」
そんなことを聞いていると、時間と存在の関係は面白いものだとも思えてくる。
時間の経過は、忘却に向かうこともあるが、大切な人との思い出は、むしろより強い記憶として、心のなかで生き続けるのだろう。
生きているとつらいことがいっぱいあるけれど、今は幸せですよ。
宗教を越えて、みなさん、同じことを言われる。
そして、旅立つ人は幸せ。残された人はしんどい。
とも言われる。それはそのとおりだ。でも、それも順番なのだろう。

でも、生きているからこその幸せがもっとある。もっともっとある。
今はそれを楽しみに、今日を生きる。
いろんな方の思いに、愛に支えられて、生きているな。ありがたい。
ささやかでも、その想いを大切に。今日も、新たに生きる。



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