葬儀で飾った花は、約20日間、家の花瓶のなかで咲き続けた。同じお花を差し上げたみなさんにも「あの花、よくもったね。長いこと咲いてたわ」と喜んでいただいた。花を見ていると、母のことを思い出す・・。花に枯れるな、まだ咲いてて・・と水を必死に交換した。
人と花の命は、なぜか、つながっている。と勝手にそう信じているから。
一方、葬儀の会場を照明や花に、紫色を意識して演出してもらったため、
母の好きだったイメージで、送ることができたことは、とても良かった。
おそらく参列された方には、ずっと記憶に残るセレモニーになったと思う。
世界観とは大変重要だ。最後のブランディングとは葬儀ではないかと思うほどだ。
このように、このお別れの時に「母は紫色が好きであった。」ということがしっかり人々の心に刻まれることになったが、母がこの色が好きになったのは、実は私の影響だ。
30代後半、グラン・ルーとして独立した頃から、名刺にはじまり、紫をイメージカラーとして多用すると、母も「いいなあ。その色」と言って、紫色を好むようになった。紫の小物や洋服もよくプレゼントした。色の好みは伝染するのか、そこから紫好きな母の友達も増えていた。
そして、母は晩年、前髪を紫に染めた。それがトレードマークにもなった。
「お母さんの影響で紫が好きになったの?」「紫好みはお母さん譲り?」と、葬儀に参列された方に言われたが、実は逆である。
いずれにせよ、パープルカラーは母と私の共通項になっていったことは間違いない。
そんなこともあって、母のことを楽しく思い出すために、これから、紫の花を
愛でることに決めた。
花屋に出向き、季節の紫の花を探して、飾る。
お寺と、実家と、そしてわが自宅。そして、母がよく通ったお店。
母のゆかりの場所に、紫の花を飾る。
そうすることで、母もそこにいるような気持ちになり、皆さんの気持ちも癒される。
そして、私はひとりのとき、この花に話しかける。
花を通じて、母と会話する。
そうすることで、普段通りに、そして前向きな気持ちになれるような気がする。
昨日は、写真の花、トルコキキョウを調達した。
白い花はどこか悲しいが、紫の花なら大丈夫。
紫と花。これから母とつながる、大切なコミュニケーションツールになる。