母の告別式後、初めて父と合う機会を得た。
さまざまな手続きの中で、父の直筆サインが必要となり、
施設の許可をもらい、久しぶりの入室。
長らく、文字を書くこともしていなかった父に対し、
うまく手続きが進められるように、サインの練習をして
おいてもらうよう、施設の皆さんにお願いしてあった。
父は前日に、一生懸命、自身の名前や、自宅の住所を書く
練習をしたとのこと。
おかげで、手続きは無事に前に進めることができた。
その用事のあと、父と私の二人の時間を少しだけいただいた。
告別式でバタバタと別れて以来の再会であり、その後のケアも
フォローもできないままであった。
「・・・寂しくなったね」。どんな言葉をかけていいかわからず、
出た言葉のあと、父も私も堰を切ったように泣いた。
そして、持参していた父と母のツーショットの写真や、私の生まれて間もない頃に両親と一緒に写っている写真を1枚づつ、一緒に見る。
「これ、どこかわかる?」半世紀以上前の写真だ。
「岐阜駅やないか」「そう、甲子園に行くバスに乗る前だって」・・・
父はちゃんと覚えていた。しっかりしていた。
写真を見ながら、一緒に、母の在りし日のことを思い出す瞬間。
「これが、去年の11月。ここで撮った写真。これがおとうさん
がお母さんに会った最後の写真。」父は、じっと黙って写真を
見ていた。
「お母さん、疲れていたね」
そう、その写真は、元気な頃の写真とは全く違っていた。
「お父さん、お母さんの分も生きて。もう一人しかおらんのやで。
お願いします・・・」
と父に伝えた。
「コロナやで、もう行くわ。また来るね。早くワクチン打ってもらってね」
静かに父の手に触れ、別れた。
・・・・・・・
そんな父と二人の時間。
このとき、親が生きているということのありがたさを、強く強く感じた。
父と一緒に。
母の分まで。
こんなことを桜が咲く前には、考えたこともなかったが・・・。
父と一緒に。
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