コロナの影響もあるのかもしれない。
家で食事をとることが増え、外食しない代わりに、ちょっといいものを、ということで日常使いのものをワンランク上のものにする。そんなケースも多いようだ。
コロナ禍で、パン屋さんやケーキ屋さんは順調ときく。
中でも、高級食パン屋さんは、地方にいっても、駅前などで見かけるほどに
増加、今や、パンの主要カテゴリーのひとつになってきている。
たとえば、銀行のATMスペースに出店したり、ビル1階の隅っこで、開業している人も少なくない。焼き上がり時間には、人が並んでいるお店も多い。
私がずっと気になっているのは、高級食パンの「高級」の意味。
高級があるなら、中級や低級もあるだろう。
高級って何だろう?
普段自分がいただいているパンはどこに当てはまるのか?
ちなみに小麦の味がしっかりするシンプルがバケットやパンドミーを常用しているが、これらは高級?おそらく今の流行りからすればそこには該当しないだろう。
毎日食べているものは高級ではない。特別な日、非日常的に戴くのが高級だ。
ここで言う高級は、生クリームが入っていたり、いろんなものが入って
値段もこれまでの食パンの2倍以上のもの、また毎日食べると飽きてしまうものでもあるかもしれない。
また、以前、食パンを人に贈るなんてなかったけれど、最近は
高級パンは立派なギフト品になる。ケーキをさしあげるような感覚かもしれない。
最近、いただいた湯種の高級食パンは、確かに持っても食べてもぎっしりして、生、トースト、いずれでも楽しめる重宝なパンであり、もったいない、もったいないと思いながら、美味しくいただいた。
でも、
高級って、自分からいうと、なんだか気恥ずかしいけど?
ルイヴィトンは、自分のことを高級とは言わないだろう・・・。とも思ったりする。
しかし、「高級」という言葉は高級に憧れる人、庶民にとって幸せのアイコン。
ともあれ、
「高級食パン」市場は、コロナ禍も手伝って、日本でしっかり定着した。
今やどこでもここでも・・で、そのうちバブリーに終わらないかと心配もする。
どんなものでも、どんなことでも、しばし、幸せになれるひとときは、
必要だ。
「高級食パン」、とてもアジア的、日本的な存在だ。
日常に「高級」をワンポイント。
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