母は花が好きであった。
施設から自宅に戻って、元気に生活を再開したときから、いつも花を飾るようにした。一輪でもなんでもいいので、花が食卓にあるとなんだか幸せな気持ちになった。ちょっと花瓶が寂しいときは、造花を入れることもあったが、やはり生のお花を見ると元気が出た。
喧嘩していても、花の話題で、怒っていたことも忘れるほどだった。
そして、何年か前に、新潟でもらったバラの木をずっと大切にしていたことが
昨日のようだ。
「まだ咲いとる。新潟でもらったバラが・・・」
まさに、一輪のバラが人生の思い出話に花を咲かせたという感じ。
とにかく、
離れていても、喧嘩していても、花さえあれば、ご機嫌で、何か通じ合うものがあった。
母が亡くなってから、葬儀で飾った花をずっと花瓶に入れて、眺めている。
もう半月が経過し、そろそろ花も元気がなくなってきた。
毎日お水を何度も何度も取り替えて、今日も元気で!と声をかけるが、それでも色もあせ、花びらが落ち、だんだんさみしくなっていく。
この花たちとは、別れたくない。
「散らないで。咲き続けて!」
なぜか、力がこもる。
なぜか、力がこもる。
母を送った花だから、1日でも一瞬でも長く、咲いていてほしい。
本人、家族の希望から、人間の延命はしなかったけれど、この花だけは長く生きてほしい。
そして、
母が今眠る、お寺には、いつも紫の花を持参する。
母が好きだった色の花があることが、喜ばれそうで・・・。
心に咲く、紫の花を、今日もひとり静かに思っている。