送るさくらまつり

父がお世話になってきた施設の方からのメール。
「高田橋のさくらに、お父さんの提灯がありましたよ」
へ?父の?そんなはずはない。何かの間違いでは?

実家の近所の川沿いに、毎年咲き続ける桜。
私が子供のころから、ずっと咲いてきた。
どんなときも、この桜が咲くと、気持ちが高揚した。
観光地ではなく、地元の人たちが愛でる、まちのさくら。
咲き始めたころに、近所の自治会の方たちによって
地域の企業名、商店名、個人名が入った提灯が飾り付けられる。
この提灯がともると、一気にまつり感が増す。
そこに、商店を経営するでもない、一個人の父の名がある?ほんとかな。

早速、この道を往復、通りながら、父の名が入った提灯を探す。
すると、ちゃんとあった!
父の名入りの提灯だ。
誰が手配したのだろう?
毎年飾られてきたのだろうか?

その情報をくださった、施設の方は
「もしかしたら、お母さんが手配されていたのでは?」
とも言われ、不思議な感覚になる。

父の提灯。父のさくらまつり。
もうさくらは散り始めている。
まつりはもうすぐおしまい。
父は、このさくらでもって、母を見送っているのかもしれない。

なんとも、この提灯が、両親の顔に見えてくるのが不思議だ。

さくら散る。人生は散らず。
人のいのちは、永遠に咲く花。

母が自転車でよく通ったこの桜道。
今年は、やけにドラマチックで、心にしみる。
外出できない父に、この写真を見せてあげたい。

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