たとえば、商品を作るという場合、原材料を産地から工場へもってきて、商品にして、売り場に運んで、お客さんがそこに来て購入して自宅へ運ぶ。商品を売るために必要な資材や販促品もその原材料が工場に運ばれ、そこで製造され、メーカーの工場や、流通先に運ばれ、お客さんが見たり、持ち帰ったり・・。
たとえば、どこかへ出かけ、何かを購入。重いので送ってもらう、それをさらに誰かにおすそ分けとして何か所かに送る。
と、日頃、ありとあらゆるものたちが、物流のサイクルにのっかって動いているが、地球を俯瞰してみると、結局すべては、その小さな地球の中で「くるくる」と、回っている。ゴミや公害、さまざまな細菌・病原菌たちも一見、自分の目に見えないところに移動されることで安心しているけれども、俯瞰してみればどこかに移動しているだけのことであって、真の解決にいたっていないことも多い。
でも、人は目先のこと、自分のこと、自社のこと、自国のこと・・を優先にし、全体の流れを客観的に観るということはなかなかしようとしない。
とにかく、人間は生きるために、モノを作り続け、売り続け、買い続け、使い続け・・・。「消費」という言葉は20世紀を象徴する人間の行動を表しているが、消費とは一過性の行動であり、そこで満足するのではなく、結局はその前も後も全部つながっているということを理解して行動しなければならない。
消費を加速させることが豊かになることだと、勘違いし、自然をどんどん破壊し続けて、自分たちのクビをしめている。
モノが増えなければ物流業界も繁栄しなかったであろうが、結局は「こっちにあるものを、あっちに移動させているだけ」の人生だ。
入れては出し、入れては出し、右から左、左から右・・のくりかえし。
モノづくりから消費、生活・・。自然を破壊するだけのサイクルではいけない。リサイクルという考えは広がってきてはいるけれど、人はモノを作ることはやめられない。コンビニで売られる商品のプロダクトライフサイクルを考えると、いったい何のために?と思ってしまう・・・。デパ地下、エキナカだって同じこと。
なんで、そんなに作らなければならないの?そんなにお金をかけて無理に売ろうとするの?という数々の疑問・・その矛盾を抱えながら、自分も消費している・・。
そろそろ、モノありきではない、違う価値のサイクルが必要だ。
ITが進んでも、結局 売らんかな、の目的にために活用されている。
頭ではわかっているけれど、結局、いつも小さな世界でくるくる・・回っている。
俯瞰してわが日々の行動を観察するだけでも、あほだな~。と思えてくる。
本当のリサイクルって何なのか?本当のリ・サイクルは可能なのか?
モノが動くことが良し!とされている昨今、このサイクルについていろんなことを考えてしまう・・。
モノがない時代の方が、人々は心豊かな人生のサイクルを楽しんでいたのでは?
理性をもってサイクル。これもグラン・ルー的に考えていきたいが、人が生き続けようとする限り・・・難しい問題かもしれない。
「理・サイクル」志向で生きる。
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