居場所変われども、関係は変わらず。

人生の一大事業は、親を見送ることだ。
本当にそのとおりだ。
もしかしたら、私は、母の人生を送るために、この人の子として
生まれてきたのではないかと、1週間前まで、
そんなことを考えていなかったが、
今はそんな風にも考える。

1週間前までは、目の前にいる存在。外出していても、どこかに行っていても
目の前にいる、見える存在。
今はもうそれは叶わない。
上にいる、あるいは胸の内にいる。
姿かたちは見えないけれども、確かに存在し、そして関係は変わらず。

今は、まだ時間が経ってないため、
いたはずの場所にいないことに、哀しみや寂しさも募るけれど、
おそらく、時間が経てば、新たな居場所に慣れるだろう。
人間は、そういう力をもっているはず。

母の死は、不思議なことに、
すでに、いろんな学びを私に与えてくれている。
悲しみや寂しさを乗り越えて、生きるということについて。

もう少ししたら、きっとその変化に慣れるだろう。
居場所変われど、関係は変わらず。
今は、
寂しさと悲しみに包まれている、仲良しだった近所のおばちゃんたちを
励まし、一緒に楽しく、思い出話ができるようにと思う。
今日も、母の代わりに、声をかけにいく。
もちろん、代わりにはなれないけれど。

とにかく、関係は変わらない。
そう思えば、大丈夫!な自分がいる。

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