正直、悔いはない。
自分なりに、母に全身、全力向かい合ってきたつもり。
当然のことながら、私が生まれたときから母はずっと存在していて、
この57年間、ずっと「いる」のが当たり前であった。
いつかその日が終わるとは、頭でわかっていても、あり得ないと
思っていた。
母は死なない。母は特別。
と思っていた。
そんな死なないと思っていた母が、全力で生き、そして
あっけなく生涯を閉じた。
18歳で岐阜を出るとき、引っ越しの日
「ピアノ、どうするんや。今尾家どうなるんや」
背中でずっと怒っていた、あの日を思い出す。
昨日のお通夜には、多くの方がコロナを考慮し、時間を分けて
弔問においでになった。
「わあ、キレイやね~」
祭壇を見て、遺影を見て、母の旅立ちの姿を見て、皆さんがおっしゃった。
そして、多くの涙・・・。
家族葬は嫌だ!と言い続けた母の希望に応えるカタチで、旅立ちをお手伝いできたことは良かった。
今日は、最期のお見送り。本当に旅立ってしまう。
父と一緒に送りたい。
それが、本当に最後の親孝行になる。
ひとり、祭壇の前でたたずむ。
今日は、彼女のリクエストで生まれた曲、地域の皆さんに歌い継がれている曲
「みのり愛」を歌い、旅立ちを送りたい。
抱えきれないほどの感謝の花とともに・・。