コロナ禍の再見。

実家の近所の老人施設でお世話になっている父。かれこれ半年経過。
もう4か月ほど直接会えていない。
でも、そのおかげで、コロナに感染しないで無事に暮らしている。と思えば、
やむを得ない。周囲のさまざまな対応に頭が下がる。
会えなくても、懲りずにできる限り、足を運び、プリンや柔らかいお菓子を
持参し、時に手紙を持っていく。
そろそろ、面会再会か?桜の開花とともに、そんな期待を抱きつつ、
今週も足を運ぶ。
たまたま、ドアの付近の部屋に父がいることがわかり、玄関まで職員さんに連れてきてもらった。
偏食、運動不足、もう何か月もおひさまにも当たっていないせいもあり、
健康?とは言えなさそうであるが、それでも元気、安定している様子。
なんといっても、会えない間の家族は、施設のスタッフの皆さんだ。
皆さんに本当によくしていただき、父が孤独にならないように支えてくださっている様子が、父がドア越しにスタッフと会話している様子を見て、感じる。
「お父さん、お父さん、元気?もうすぐ会えるでね。もう春やで。」
傍から見たらおかしいほどに、なんどもなんども大きく手を振る。そして
「聞こえる?聞こえる?」
と何度も、訪ね、ドア越しに看護師さんが「聞こえるよね?ね」と父に言葉をかけてくれ、父は静かにうなづく。
年々、昔の元気と勢いはなくなり、ただ静かに穏やかに暮らしているが、状況は
変わっていくものだと言い聞かせる。
もう帰っていいよ。という感じで手を振ったので、父が部屋に戻るのを手を振って見送った。父も何度か、答えて手を振った。
今回は、涙は出なかった。もうこういう状態に慣れてきているのか。
今度こそ、直接会って、差し入れを持っていきたい。
手をふる。
中国語で再見(サイチェン)はさよなら、という意味ではなく、また会いましょう。という意味ですよ。と、20年前通っていた台湾で、仕事仲間に教えてもらったことを思い出す。
そう、手を振りながら、またね。またね。と言っているのだ。
まだまだ親との別れの日は来ない。と信じながら・・・つい、力がこもる
コロナ禍の再見。




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