実家で少し時間があったら、意識的にマイピアノの重い蓋をよいしょと開けて、
練習することにしている。
ライブで演奏する現代曲はそこそこに・・、今はクラシック回帰。
高校時代までは、毎日数時間ほどは練習していたのに、
今となっては、トホホの状態だ。
しかし、なんとか昔の自分に追いつきたい、新たな創造につなげたいと、
昔使っていた楽譜を引っ張り出して、弾き始める。よく、こんな難しい曲を弾いていたな~、レッスンの先生の楽譜へのチェックの筆跡を見て、またたくまに
タイムトリップ。
まずは、ショパン・・。ノクターンやワルツ・・。40年前は指が良く動きなめらかに弾けたのに、今は指が遊んでしまい、全然ダメだ。焦る。
テンポがゆっくりな曲はまだいいが、幻想即興曲などになると、もう全然ダメだ。指が浮いている、遊んでいる。こんなんじゃなかったのに~。
かつて、ピアニストとバレリーナは練習を1日さぼったら1日分退化すると聞いていたが、40年さぼったら?恐ろしい。
こんなヘタッピだったら、ショパンに怒られるぞ。
「そんな風に弾くんだったら、やめてくれ~、私はそんな風に作ったんじゃない~」と言われそうだ。いかん、いかん。ショパンさん、ごめんなさい。と独り言をいいつつ、練習を続ける。
一方、中学生になってから、弾き始めていたベートーベンソナタの本を開き、
当時のチェックを見ながら、おもむろにゆっくり弾き始める。
不思議なものだ。若い時は、楽譜を見続けて、次に出てくる音も目で追いかけていたが、今は次に来る和音やメロディのパターンがなんとなくわかる。こうじゃないか?と想像して触る鍵盤音が楽譜と合っている。
こういう風にもっていきたいのでは?と思ったとおりに和音が構成されていることが多く、驚く。ベートーベンスタイルというのがまるであるかのように、
なんだか弾けてしまう。もちろん、技術はダメだ。どん底。
それはそれとして、大人になってから弾くベートーベンと、昔のそれとは何か理解度が異なることに
それは、生誕の地に行ったからか、お母上の墓参りをしたせいか、
世界史や哲学を少し触ったからか・・・。子どものころのベートーベンよりも
身近に感じられる。
などなど、時間が少しでもあれば、偉大なる音楽家の作品に出合い、一方的な歴史的対話を重ねながら、奮闘している。
80歳までに18歳の頃のように、演奏力を戻せるか?
これは、わが人生の大きな課題になりつつある。