社会は、さまざまな役割をもった人によって構成されている。
コミュニケーションの面からみると、一対一においては、もちろん
双方向であるけれど、俯瞰してみたときに、大きく分けると、
「受け手」と「送り手」という見方がある。
もちろん今はソーシャルメディアの登場により、一見、誰もが
発信でき、送り手であるともいえるが、一過性の自分事の情報を
発信することが、「送り手」の要件ではない。
送り手とは、人々にメッセージを伝えたり、感動を与えたり、
自分が発信することで、相手が動く、元気になる。そんな役割である。
これが、歌というメッセージであれば、創る人、歌う人しかいなけれ
ば何も意味がなく、「受け手」である、「聞き手」の存在は不可欠だ。
送り手は、受け手がいてこそ、成り立つ。
日々の仕事で、聞き役、受け手の役割になることもあるが、
その聞く姿勢から何かを伝えたいということもある。無言の送り手。
オーラとか、見えない力が相手に伝わるというのも、時には存在するのだろう。
さて、自分が生きていく以上、できれば、送り手であり続けたい。
受けとめているだけではおさまらない何かがある。
伝えたいことがある。それを、ずっと模索している。