寄り添いの真の意味を問う。

毎日、なんどかの電話で実家の母に安否確認をし、週に何度か食べ物を差し入れ、デイサービスの送り出しをし、たまには花を持っていき、掃除洗濯など代行し、また施設に入所している父にも食べ物を差し入れ、介護関係、実家のご近所の皆さまとのさまざまなやりとり・・・。そんなことも今は日々の仕事になってきている。わずかながら、親のサポートをする。これが自分なりに、親に寄り添っていることだと思い込んでいるところがある。

最近、在宅介護についてのドキュメンタリーを見て、目が離せなくなった。
人生の終末を自宅で迎えたいという人も増えているようだ。
そりゃそうだろう。
と、これを想った時点で、心が痛くなる。
そう思ってもできない人・・・がたくさんいる。
他人事ではない。

在宅介護をして、在宅死を実現するには、いろんな覚悟が必要だ。
仕事に出かける生活を続けるなら、無理がある。
何かを捨てないと、できない、在宅介護。

番組の中で知ったある事例。
幼き頃に失明した娘さん(現在は40代後半)が、がんの末期を過ごすお父さん(85歳)と自宅で二人で過ごし、そして看取る様子をこの番組で見て、たまらない気持ちになった。
目が見えない娘さんをひとりでおいておけないと、入院せず、自宅での生活。
衰弱しているお父さんを触覚と聴覚で感じながら、毎日世話をする娘さん。
そして、最期の日。「お父さん、お父さん・・・」最後まで息をする父親の呼吸をききながら・・・。最後まで普段どおりに寄り添っておられる姿に感動した。

最後まで、共に生きることが、寄り添うということだ。
なかなかそうもできていない自分。

もちろん、寄り添うとは、一様ではなく、それぞれ違う。
できること、できないことの葛藤が続くが、今日も、自分ができることをする。
好きなイチゴを、にんじんサラダを、パックに詰め・・・。

言葉だけでなく、真の寄り添いについて、しっかり考え、行動しよう。
それが悔いない人生への一歩だと思うから。

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