アイデンティティーを見直す、春。

ブランドとか、ブランディングといった言葉はビジネス界のみならず、一般にも普及しているようだが、このブランドという考え方は、それぞれの組織、また私という個の人間をとっても、その存続の根底にあるべきもののように思えてならない。
以前にも書いたことがあるし、よく話もしていると思うが、ブランドとは刻印のこと~牛に押された焼印からはじまったという説あり~で、「このモノはこれである。」ということを表明したもの。よって「これは〇〇である」という定義づけがしっかりしていなければ、人様に自分を伝えることはできない。
ふた昔前、CIとかVIというコミュニケーション用語がはやったが、これもブランディングのための表現のひとつであると理解している。
マークありきではなく、その表すもの自体がどんなものなのか、が整理できていないと、マークひとつもうまくデザインできないはずで、まさにコンセプトなき存在はなし。ということになる。
そして、当然そのコンセプト自体も、一本筋が通っていないとうまく人には伝わらない。
どこからつつかれても、どこを切っても、どこから切っても「私は〇〇です、当社は〇〇です。」という
本質が共有できていないと、外にもよく理解されないし、組織のなかもまとまらない。
要するに、自分がしっかりしていないと、自分というものがないと、ぶれてしまうのだ。
上司がよくぶれて困る・・・という相談も時に聞くが、部下が困らないよう、両者一体感をもっていい仕事をするためにも、私の仕事の価値はこれである、私の想いはこうである。という根本の話をしっかり常日頃から共有しておく必要がある。
今さらながら、遠回りであるが、哲学的な視点は仕事に、人生に役立つと思えてならない。
自分とは何か?何のためにこの仕事をするのか?その目的意識がぶれない自分づくりにつながり、自分のアイデンティティにもなり、のちブランドとして育っていくのだと思う。
新年度で奔走されている皆さんに、ブレずにがんばってほしい。

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