オリンピックは当事者にとって、おそらく想定外の方向に向かっている。
これは、どんなマラソンコースなんだろう。
コロナと同じく、オリンピックを通じて、いろんなことを学びなさいという見えない力による道なのだろうか?
今さら、男か女か・・かという気もしている。
男性だから良い、女性だからどうこう・・ではない、
仕事をする以上、男性も女性も性別で競うことではないし、
数合わせをすることも意味がないし・・・。
数合わせ的に、抜擢されて世に出てきた女性たちは、
それは本意なのだろうか?とさえ思う。
こんな話はずっと昔からあった。
自分が社会人になった年は、男女雇用機会均等法の施行初年度
であった。
男女同じ給料。
それまでは当たり前ではなかった。でも、同じ仕事をする以上同じ給料を
もらい、そして女だからと言われないように、がむしゃらに働いた。
結果、甘えずにとことんがんばれば、普通にチャンスは与えられた。
おかげさまで、自分が生きてきた環境のなかでは、男女差別は
なかったとはいえないが、それでも恵まれていたと思う。
女性はつらい、差別されてきたという方も多いし、人はそれぞれ
背景があるため、一概に言えないけれど、
女性は女性で守られてきた時代もあったはず。
ダイバーシティのこの社会になった以上、お互いの違いを認め
協力しながら、仲よく、そして切磋琢磨して生きていけばいい。
ただ、それだけ。
女性だから、という余計な気遣いは要らない。
仕事の役割、担当を決めるときは、その仕事が全うできる最適な人を
選べばいいだけ。
できる人、やれる人がやる。それでいい。
男性だから、女性だから・・はもうやめた方がいい。
男性も女性もがんばる。理解し、共生する。
ただ、それだけのこと。
日本はネット社会になっても、島国?鎖国?
もっとまじりあわないと・・ますます取り残されてしまう。
昔にしがみつく。これほど、みっともないことはない。
潔く、捨てるものは捨て・・で良いと思う。
私が尊敬する、メルケルさんも、マザーテレサも・・。
女性だから好きなのではなく、人として立派なのだ。
たまたま女性である。ということ。ただ、それだけだ。
人は何より、まず人である。
そこから、はじめたい。