じっと待ち、熟成させ自分の花を咲かす。

春になると、世の中の新たな節目ということで、人の移動、異動がつきもの。世の中の根本は変っていないし、毎日時が同じように流れているのだが、新年度と言うと、どうも世の中が大きく動き始めているような錯覚に陥り、昨日までとさほど変わらない過ごし方をしている人にとっては、周りが新たなことを始めようとしているのに、自分だけおいてぼりをくらったような・・・、そして焦ったりすることもあるかもしれない。
大きな組織であればあるほど、どこかの節目で体制を見直したり、人の入れ替えを図り新陳代謝をよくする試みは必要で、それには「新年度」という括り方は良い節目なのだと思う。役所、学校のスタンダードな暦である「新年度」は、その点から、日本人にとって行動の新たな始まりのときだ。
だから日本では1月カレンダーと4月カレンダーの2種類が販売されている。
(アメリカだと1月と9月カレンダーというのも会った記憶があるが)
いずれにしても、スタートできる時期が2回あるのは、チャンスを2回もらった感じがするかもしれず、それはそれでよい。

しかし、暦が新年度となっても、小さい組織や個人事業者にはそう大きく変わらない場合もある。
私自身もこの時期、昨日と今日は何ら変わらない。周囲が変わるだけ、である。周囲がめまぐるしく変わるので振り回されそうになるが、そこは辛抱も必要だ。

美しい花が咲きほころぶ春。気持ちいい。雪溶け後のこんな時期にいろいろスタートするというのは確かに理にかなっている。ただし、咲く花の季節は「春だけ」とは限らず、咲く季節によって種をまく、水をやり始める時期も変わるはずだ。野菜もそうだ。春が旬のものばかりではない。それぞれの季節に旬のものがあり、私たちを楽しませてくれる。そこにも注目したい。
人のわさわさとした動きに惑わされず、自分は自分のスタンスで、じっくりと春の時間を過ごすのも良い。
役所などでは年度代わりとなると、凄まじい組織変更、人の入れ替えがあるにも関わらず、どんなに変更が多くても4月1日から新たに見た目スタートできてしまうから、あの引継ぎパワーはすごいものだと毎年感心する。が、人間そんなに急に新しいことをフルパワーで始められない。迷いも惑いもあるはずだし、じっくり考える時間だって必要。だから後付で考えることも少なくない。ま、それもあり。
いずれにせよ、春だからといって焦ることなかれ。私もいろんな挑戦をし続ける思いに変わりはないが、いけいけ精神ではなく、自分らしい花を咲かせるための熟成の時間もとらねばとも思っている。
熟成とはよく五感を働かせ自分を内面から育てることだ。そのことがより良き行動に結びつくはずだ。
焦らず、じっくり。私の春はいつ?かを決めればよいだけだ。

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