オンラインの孤独。

今、前から時々受講していた大学の講座を、久しぶりに受講している。
コロナのおかげで、オンライン開講となったため、交通費もかからず、
手軽に学べて、この点だけは、コロナのおかげと思っている。
その講座の講師とは、リアルな授業でお会いし、その授業に向かう姿勢と、世界観広がる、示唆に富む知的な内容に感銘を受け、何回か受講。
ぜひまた受けたいと思っていたが、名古屋に引っ越してしまい、
なかなか通えなくなってしまった。
そんなところへ、今回のオンラインでの開講という嬉しい報せ。
先生の本職はジャーナリスト。新聞記者出身で、今や世界中を相手に取材活動を
展開。鋭い視点、深い思索から生まれる文章はさすがと思う、伝えるプロである。

さて、久しぶりの受講。
大きな教室で受講生の一人として過ごす90分と、パソコンのモニターを通じて一対一であるように過ごす90分は何だか別物に感じる。
どうしても、アップに映る講師のしゃべり方や、声や、その動作、背景やいろいろ気になる。もちろん共有資料も活用するため、講座の中身自体は充実しているが、リアルの講義とはちょっと何かが違うのだ。
先生もやりづらい面もあるだろうな~と思いながら、楽をしながら、学ばせて
いただく。こちらは何度も聞き直したり、見直したり、大学で聴いていた授業よりリラックスして受講させていただいている。

せっかくなので、と思い、感想のメールを送ってみる。
一対多。しかも相手の顔が見えない状態で講義をされているので、感想を送ると
喜んでくださった。そして、以下のメッセージをいただく。

「オンラインに孤独はつきものですが、私の本業の文章を書く世界に通じるものがあるようです。 お会いしたことのない人、一方通行の人へ向けどう伝えるか、共感してもらえるか、毎回がチャレンジです。」

との返事が来て、なるほどと納得。
オンラインは双方向が基本というものの、大人数の講義の場合は、そうではない。顔の見えない聴衆に向かってずっと話すという、修行のような時間になる。
もちろんチャットから質問も来るけれど、あえて、受講者全員にわかるように
回答されるので、これも顔は見えてないが、マスメディアの伝え手となれば、
受け手とはそういう関係である。

お会いしたことのない人、一方通行の人へどう伝えるか。

この課題は、確かに難しい。手探りをし続けるわけだ。
新聞記者らしい回答であり、またジャーナリストらしいチャレンジであると
思った。

オンラインの孤独。表現は違えど、最近、同じようなことをよく聞く。

オンラインは人間のコミュニケーションのメインの手段ではない。ひとつのサブ的手段である。人間である以上、そこは忘れたくない。次の講義も楽しみだ。

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