週末の朝のニュースだったか、病気のため寝たきりで肢体不自由の身のデザイナーの方の話題に触れる。視覚のみを使っての制作活動をされ、障害者年金に頼らず、いずれデザイナーとして自立したいとおっしゃっていたあのインタビューが心にささる。寝たきりという状態でしか生きられず、死にたいと思っても、飛び込むことも、首をつることもできない、だから誰か殺してくれ・・と思っていたという手記を知り、胸が詰まった。それでも視覚でもってパソコン操作が可能となり、自分のアイデアが表現できるようになり、人様に認めてもらい、そしてお金を得ることができるようになり、生きがいがみつかったとのこと。
生きているという現実を受け入れ、そのなかで最大努力している人は本当に素晴らしい。生き続けるということは、本当に大変な仕事だ。
年老いる父母を見て、目の前にいれば、いろいろつい言ってしまうけれども、それでも80年近くも止まることなく、生きてきて本当にすごいと思う。人はそれぞれの生まれ方、育ち方、関わり方、学び方・・・があり、ふたつとないそれぞれの人生を生きているから、相対比較はできないものだが、とにかく長く生き続けている方は、本当にすごいのだ。
50年ちょっと生きたぐらいでは、生きたうちに入らないのかもしれない。どん底から這い上がって、さまざまな悲しみや苦しみを越えて一生懸命生き続けている人こそ、生きた教科書である。まだまだ修行の身だと、自分の稚拙、未熟を痛感する。
生きているだけで、凄くない?
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク