大好きだった人が、長年のがん闘病中、コロナ禍のなか、亡くなってもうすぐ1年になる。
そんな状況での別れとなったせいか、今も現実感がなく、いつも困ったときにエールをくださった、あの元気な笑顔に背中を押され続けているような気持ちでいて、ほんとうにあの方は亡くなったのだろうか?と思えたりもする。
共通の知人に、そんなことをメールすると、こんな返事が返ってきた。
「〇〇さんのことでは、今でも元気でコロナ禍のために会えないくらいに感じます。 メールや電話の連絡に返事はありませんが、きっと本人の都合ではなく、
あの世とやらの通信事情が原因と思いたく、通信の回復を待ちたいと思います。 」
同じ気持ちでおられるんだと思い、安堵しながら納得する。
もし、大切な人がこの時期に亡くなっても、いや、もし今後いつでも、そういうことがあっても、こんな風に思いたい。
前に何度も触れたことがあるが、
こちらが思っていれば、相手は永遠の存在だ。その人は心のなかで、生き続ける。
今もこの原稿を書きながら、「そうですよ~。応援してますからね~今日もがんばってくださいね」と、そんな声が聞こえてくる。
あの世との通信は、相手の存在を「信じる」というところでつながることができるのかもしれない。と、そんなことも勝手に思っている。