朝の日課のひとつは、炊きたてご飯でおにぎりをつくって、相方に野菜ジュースとともに渡すこと。ささやかなことであるが、そのおにぎりで対話も弾む。褒められることは少ない。まず、三角形でないと、コンビニのおにぎりのような形ではないといわれる。道具や既成型を使うわけでもないし、私としてはまんまるおにぎりの方が好きなので、これでやり通している。「食べづらいよ」と言われても、悪気はなく、いつもバクダンのようなおにぎりだ。「具がまんなかに入ってないよ」という声も多い。ま、仕方ないよ。入っているだけましじゃん。と笑いながらかわす。おかげさまで、ふりかけの種類やおにぎりの中に入れる具についてはあれこれ、研究もするようになった。おにぎりという「料理」は、直接人の手で握るので、職人さんとかプロ以外の他人のものは避けたい・・と思う人も多い。だから、おにぎりとは、家族だからの愛情料理?なのかも、そして日本が生んだ究極のモバイルフードで、ハンバーガーより歴史の長い日本のファストフードでもある。とにかく、不格好でも、いいじゃんと思っている。
実家に戻り、1年前に胃がんがみつかった母はその後、おかげさまで元気に復活した。その母の赤飯握りを久しぶりに受け取る。ラップにくるまれたそのおにぎり・・・。やっぱり不格好、ぶこつというか、なんというか・・。赤飯の塊?のようで、思わず笑ってしまう。が、移動中でも食べやすいようにと作ってくれたかと思うと、とてもうれしくなり、つい多めに食べてしまう。
形も大切であるが、それ以上に見えない気持ちが詰まっていることがうれしい。
あと、何回もらうことができるか、母のおにぎり。あと、何回作ってあげられるか自分のおにぎり。どっちも大切に、大切に。
不格好だからこそ、の愛
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