家計簿は付けていない。仕事面では、もちろん経費管理はしているが。(税理士さんたちの手を借りてであるが・・)
働いている間は、収入がある間は、支出バランスを考えて、やりくりをする。
出費を考えて、調整しながら、暮らす。
経済とは、国や企業レベルだけではなく、実は個人レベルでも規模こそ違えど
同じ考え方であるべき。
ということを最近、必要に迫られて、真剣に考えるようになった。
年金生活を続ける親たちの暮らしを見て、将来への不安と覚悟が高まる毎日。
生活のサイクルを自分で回せることが、自活の基本。
そこには当然お金の管理も含まれる。
生きていくということは、結局膨大なコストがかかるのだ。
最近、痛感していることだ。
経済か命か。と今、コロナ禍でよく耳にするこの言葉は、コロナがなくても
同じことだ。
生きるコストと生産性。
生産性とは、いくら稼ぐかだけではなく、なるべくお金をかけないで周囲に迷惑をかけないで、
社会にとって、意味のある存在として人生をまっとうできるように努力する力も含めて考えたい。一生を終えるときに、何を遺したのか。ということだ。
コスト感覚なしに、しかも借金だけ残す・・では人生はハッピーエンドではない。
自分や家族という最小単位の経済をうまく回し、何かを残して終わるということだ。
言い換えれば、自分という存在の価値。
親たちの生き方を見て、つくづく、生きるコストについて考える。
かなりシビアな問題ではあるが、出来るものが代行しながら、サポートしながら
・・・。それも恩返しになるのだと信じて・・・。
そして、自分こそは、人生のコストをもっとよく考えて、日々改善していかねばと襟を正すことも同時進行だ。
生きることには、コストがかかっている。忘れてはいけない。