子どもはどう見ているだろう

たとえば緊急事態宣言下の日本。
自分は仕事をする立場で、生活者として、親のことを思う立場でと
いろんなことを思いながら、生きている。
他の方も、それぞれの境遇や環境のなかで、その現実をとらえて
生きておられることだろう。
さまざまな叫びや怒りもごもっともと思えるし、違う意味での
緊急事態宣言下ではないかと思う今日この頃。

さて、次代を担う子どもたちは、
今のこの世の中をどう見ているだろう?どう見えるのだろう?
そんなことも、最近気になっている。

世界的に見れば、コロナ、そしてそれに向かい合う国のリーダーのこと。
そして、それを熱狂的に信じて行動している人たちのこと。
大人はそれぞれの立場で、考えをもちながら、行動をしている。

純朴な子どもたちは、この大人たちのふるまいをどう見ているのだろう。
子どもたちに、リーダーとは?の定義はどうインプットされていくのだろう。

最後まで自分は正しいと言い切る大人を見て、
責任から逃げていこうとしている大人を見て、
親は子供に何を教えるだろう。
たとえば、
隣の国では、この国の選挙は不正があるんだ。と親が子供に教えるような家庭もあるかもしれないが、子供はそれをきいて、どんな風に育つだろう。

人として、お互いを大切にし、認め合い、協力しあえる。
そうでなければ生きていけない世の中のはずであるのに、
分断をあおる大人を見ている子どもたちは、どうなるんだろう。

日本も同じこと。
自我の目覚め、社会性、行動範囲が広がるなかで、子供は社会人としての
素地も習得していくが、周りに正しい大人がいなければ、正しく育つのか。

今、環境破壊とともに、人間破壊が心配でならない。


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