FOOD INSECURITYに目を向ける

コロナは人々にさまざまな影響を与え続けている。
ニュースは毎日、感染者数を日課のようにトップニュースとして取り上げて
いるが、心配なのは、ここには発表されていない方の数。
医療のお世話にはなっていなくても、生きるのに困っている方は多い。

年末から年始にかけて大人食堂という活動が、東京でも行われたようであるが、
生活に困る方を支援される取り組み。おそらく各地、さまざまな形で支援をされる方がおられると思う。本当に頭が下がる。

職を失い、食べるものにも事欠くという方が大勢おられるということは本当に深刻だ。会食云々など、無縁の世界だ。

ニューヨークでは、コロナで活動できない劇場で、その劇場のスタッフたちが
食糧支援の活動をされていると聞いて、あたたかい気持ちになった。
NGOの取り組みとして、地元のお困りの方に寄付で集まった食料品を
栄養バランスを考え、袋詰めして、毎週各家庭に届けているとのこと。

コロナで対面で人に会えない。コミュニケーションできない、自宅に籠りっきりのお年寄りはこのサービスを本当に楽しみにされており、週に一度の支給に幸せを感じておられるとのこと。
劇団のマネージャーは、心の栄養を提供する劇団の仕事と、体の栄養を提供するこの食糧支援は同じだ。とてもやりがいを感じているという。いい話だ。

FOOD INSECURITY~食料不安。この言葉がNYでは日常語になっているとのこと。
日本でも同じだ。困っている人を見たら助ける。
これは当たり前のこと。

外食の時短と、この食糧支援。どちらも食だ。食べること。
生きるとは食べること。
贅沢なしで、普通に食事をさせていただける日々があることに感謝するしかない。
まだまだ自分は何もできていないと実感。小さなことからはじめよう。


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