声をあげる覚悟と応援と・・

再び、緊急事態宣言が発出された。東京から、東京への出張は見合わせ、
そしてリモートで打ち合わせ。これができる仕事はまだ救われる。
なんども、そしてどんどん営業時間を短縮していかねばならない飲食店
の皆さまや、観光関係の皆さまは、ほんとうにお気の毒でならない。
仲間のお店も心配でならない。行って売り上げに貢献できないことが心痛い。

ある報道番組で、この宣言下でも、午後8時以降も営業を続けると決断されて
いる店主の方のインタビューを見て、釘付けになった。
東京の一等地で店を営むには、毎月高い家賃がかかり、またある程度の規模のお店であると、従業員の数も多く、人件費も莫大だ。その家族の生活もかかっている経営者となれば、営業を続けなければならない。とのこと。
もし、時短営業をしない店として店名が公開されても構わない、もし罰金を科せられたら、裁判で戦う。
語気を強め、涙目で怒りを込めて語っておられた店主の声を聴いて、胸がつぶれそうになった。
先が見えないことに対して、行き当たりばったりの対策についての、心からの叫びである。
店主の方が、どんな思いで、インタビューに応じたか。覚悟をもっておられるのだと思う。
現場を見て、声をきいて、どうすればみんなが安心して協力できるのか・・。そのことをしなければならない役割の人たちは、現場を理解しているのだろうか。

夜の会食だけが、感染源ではない。
夜のお酒を提供するお店はもちろん感染しやすいが、
町の喫茶店で大きな声で長時間数人でしゃべり続けている高齢者も同じこと。
そこには目を向けられているのだろうか。また飲食店はその店だけで成り立って
いるわけではない。その店に出入りするさまざまな業者さんもいてのお店である。この関係者も含めたら、どれだけの人々が悲鳴をあげておられることか。

また、都会と地方での営業自粛、時短要請の痛手は、かかるコストが違う分、
大きな差があるということを、もっとよく考えて、対策を講じていかなければ
ならない。
こんな矛盾だらけの穴だらけの対策に対し、怒りやあきらめが生まれ、そして
全体的に、1年前の緊張感と変わってきてしまったのは、
人々の中に、「どうせ・・」
という気持ちがあるのだろう。悪い意味で、コロナに慣れてしまったのだろう。
デパートなど人の多いお店に入るときに、手の消毒をする人は一年前に比べたら減っている。
密になっている場所も多く、かろうじてマスクだけは着用している・・という
状況に見受けられる。

上述のインタビューに応えておられた歌舞伎町のその居酒屋。
焼き鳥で有名なお店だそうだ。
勇気をもって声をあげられた。
自分のことは誰も守ってくれない。
自分は社員、その家族の生活を担っていかねばならない。
その責任感と、背負うリスクの重さ・・・。
この覚悟・・・。どんな気持ちでおられるか・・・。

この行動を心の中で応援するとともに、しかし、でも・・という
気持ちが交雑する。
「みんなで今は!」
という気持ちになれなくなってしまっている日本・・・。
コロナとともに、体たらくな政治のせいで、日本の国はこの一年の間にも
じわじわと変質してきているようにも感じる。
信頼しない、信じない、というウイルスの蔓延?これではいけない。

今回の宣言で、コロナでではなく、経済で命をなくす人がいないように。
自分ができることは、まずしていく・・それしかない。

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