日々、老いた母との格闘?が続いているが、ふと
24年後、自分も親と同じ年齢になるのだということに気づき、愕然とする。
世のなかの多くのお年寄りを見て、日々関わりながら、
「年をとるとは、大変だ」と
他人事のように考えながら、時間に追われて日々処理をしている自分。
「もう、若くないので、あんたみたいに、わしは動けないんだわ~」
「そんなに早く早くと言わんといてくれ~。パニックになるわ~」
との叫びにも、年寄りだから仕方ないじゃん。ぐらいの気持ちで軽く
聞き流し、その代わり、手を差し伸べたらいいと思っている今日。
しかし、よく考えてみれば、24年すれば、自分は81歳。
どうする?
手をさしのべてもらわないと生きられなくなる?
今は、想像もしたくない。
でも、親がその一例を、姿を見せているのだ。
そう思うと、ただ事ではない。
昨年末、40年ぶりに再会した同級生が、
「私たちが動けるのも、あと25年だよね。」と言った言葉も
鮮明に残っている。
これまで生きた道のりの三分の1は、まだ進まねばならない。
しかも老いながら・・。
何もせずに、ぼーっと老いるのは、社会に迷惑がかかる。
生きていくならば、覚悟をもって、これから老後の自立を
見据えていかねば・・。
まずは、頭がしっかり動くように。仕事と勉強とピアノは必須だ。
そして、カラダがしっかり動くように。日々動くこと、運動。
自分が尊敬する人を求めて、そこに向かっていく姿勢も必要だ。
意識しなければ、いい人生の締めができない。
世にあふれる、人生の先輩たちを見ながら、
今なら間に合う!
とギアを入れる。
「年だから。」
そんなこと言ってる場合ではない。
年を言い訳にしても、誰も助けてくれない社会になるかもしれない。
自力で生きる。少しでもそれが持続するように・・・。
24年、25年。先の自分を見て 毎日をみつめていこう。