とくに右でも左でもなんでもない。自分なりの意志をもって日々生きていきたいと思っているだけだ。いいものはいいし、うさん臭いものはうさん臭い。自分の物差しで判断することが大切と思っている。
そんなか、天皇陛下のパラオ行に関する報道を見て、この夫妻は本当に素晴らしいと、心から感動した。今、世界で必要なことは、狭義の平和~自分たちが良ければ良い~ではなく、全世界の平和である。自分だけ幸せというのはない。隣も向かいもみんな幸せであってこそ、自分も幸せになれるのである。天皇陛下の仕事は、今や日本の象徴であるから、という点ももちろんあるけれど、とにかく人々を励まし、見舞う・・というその姿勢には頭が下がる。自らに求められた役割をきちんと実行されている、その姿に頭が下がる。
口先だけで、また使う言葉尻にいつまでも議論しているどこかの国のぺらんぺらんの人たちと比すれば、見た人に会った人に口数は少なくとも感動を与えているのだ。なぜか、天皇陛下が遺族の方や元兵隊さんと話されているとき、その相手の嬉しそうな顔を見て、涙が出た。
先日お会いした長崎の97歳のおばあさまも、天皇陛下と会われたことがあったと聞く。いろんな苦労をされてきた方に寄り添われるその姿が素晴らしい。何百回「国民の平和のために~」とか「私はあなたに寄り添います」と口先だけで、言われても人は何も感じないし、信じない。そんな現実社会の中で、とにかくあのご夫婦は素晴らしいのだ。
夫婦として、シンボルとして、その役割を全うされようとがんばっておられるのが伝わる。
そう、先の戦争でお父様が負傷され、戦後も傷痍軍人としてご苦労され、早くに亡くなった知り合いのことが頭をよぎる。
きっと、このパラオでの天皇ご夫妻の慰霊のご様子を見ておられることだろう。
なぜ、泣けるのだろう。被爆しながらがんばって生きてきた人を思い出すからか、パラオの人たちの歓迎ぶりに戦後70年という時間を感じるのか・・。人はうまい言葉よりも、黙っている小さな背中にこそ、心動かされる。
なぜか、泣けるあのご夫妻のお姿
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