毎年開催するふるさとライブの常連さんのおひとり。86歳のおばあさま、元気印のシャキシャキ、現役で家業の事務係をこなしておられる。その方から1枚の絵手紙が届く。「ご縁で美しい櫻が咲きました。いい出会いを大切に、これからもよろしくお願いします。」という筆文字に、ピンクとゴールドの櫻の華が美しい。わざわざ私に1枚のお葉書を・・・と思うとその気持ちがうれしい。そのお礼にと、帰省したとき季節のご挨拶に寄る。「あんたのおかげで、こうやって元気にやれとるで、本当に本当にありがとうね。」人生の先輩からお礼を言われるなんて、もったいなく、恥ずかしく・・・。年上にも年下にも頭が下げられる人はホンモノだ。また、最近ではブログを読んでくださった方が、これを読んで自分も優しくなろうと思ったというメッセージをくれたり、うれしくて何度も読み、お母様にも見せてあげました・・などの感想が来たり・・。いろんなモノをシェアしたほうが良いといろんなところにおすそ分けで送ってみたり・・・。なんでこんなことを自分をしているのかな?と思うことは、最近よーくある。
何もないけれど、大きなことはできないけれど、心寄せる人たちのお役に少しでも立てたら・・と思ったら即、行動。
先生と呼ばれたり、社長社長ともてはやされたり・・・人は何かそういう呼び方をされ続けると、勘違いしてしまうことがある。周りのおかげで存在できているのに、狭い領域でしか世界をわかっていないのに、それを知らないで、自分がいかにも偉い人のような。ああ勘違い。
大きな仕事をしているとか、なんだか自分はすごいとか・・自分はできるとか・・・やたら自信をもつのもああ勘違い。大したことはしていない。大した人間ではない。だから、ほんのちょっとでいいから、誰かの役に立てるだけで十分なはず。
ほんのちょっとのことで、人間は幸せを感じることができる。実際に、そのとおりだと実感できる日々が、またうれしい。
ほんのちょっとでいいから、お役に立てたら・・・
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