骨なし?筋肉質の心に鍛える。

面白いものだ。
いつの間にか、「心が折れる」という言葉が蔓延している。
最初は、そうか。と思いつつも、最近、若い人以外からも
耳にする機会が増えてきて、
この言葉は???と、時々疑問を抱き、かつ興味をもつ
ようになってきている。

折れるということは、もともと、心に骨はあるのだろうか?
ぼきっと折れるのだろうか?
あるいは、プラスチックや木材のようにパキッとか
バリっと折れてしまうものなんだろうか?
心は化学製品なのか?何でできていると、皆は思っているんだろう。

などなど大変気になってしまう。

そもそも、心って壊れやすいものだという認識があるのかもしれない。
確かに対人関係によって、さまざまな外的刺激、摩擦によって影響を
うけやすい。繊細だと思う。
でも、本来骨折するようなものではない。

心は、人間が生きる上で、肉体と同様もっとも大切な存在。
目には見えないけれど、この手で直接触れることはできないけれど、
自分次第で強く、豊かに、あるいは大きくできるもの。
形も大きさも自在に変化できるものではないか?
・・等と想像を膨らませてみる。

折れてしまうもの。と怖がると、人とのコミュニケーションも委縮する。
心は大切なものと思って、相手を思いやって接すれば、折れるどころか
優しく、広く豊かな心になれるはず。

心は骨なしで、くにゅくにゅして、ぷにゅぷにゅして、あるいは何
あっても決して折れない筋肉質なもの・・。
と、そんなイメージを持ちたい。

心が折れる・・この言葉には気を付けて、折れないように強く
鍛えていきたい。
健全な心があって、人は、コロナにも打ち勝つことができる。
しなやかで強い心があって、コロナと共存できる。

いちいち折れている場合ではない。人生は長いのだから・・・。

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