「〇〇家」?「〇〇屋」?どっちを目指すか?

最近の政治の表舞台に出てくる人たちの多くは、たとえお家柄がその筋であっても政治「家」とはいえず、政治「屋」じゃないの?と思えることが多い。自分のことばかり売り込んで、社会のために、とか誇り高い志を感じることがない。
そんなわけで、作曲家とか作家とか、茶道家といったその道を創造的に極めるプロフェッショナルとは一緒にしたくない感じがする。
自分の職業。自分もどちらかというと「〇〇家」となれるよう、生きていきたいが、コミュニケーションクリエイターという職業を「何家」と表現すればいいか、いまだ模索の途中だ。
世間に目を向ける。「町の豆腐屋さん」とか「パン屋さん」とかは、さっきの「政治屋」とは違い、いいイメージだ。地元のお役に立っている専門店、という感じだ。「屋」とは、屋根、一軒屋、路面店の印象。
一方、〇〇家とは、人前に出るのではなく書斎で考えたり書いたり、工房で作ったりする職業、いわば職人のような印象でもある。
「家」でも「屋」でも良いけれど、人のために、世の中のために、社会のために少しでも役立つ仕事がいい。それをしていることで、自分も幸せという仕事がいい。
最近、いろんなことにお節介している。ボランティアなのか世話焼きなのか、種まきなのかわからないが、損得なしに動いている・・これは「町の世話焼き屋さん」?
でも、基本的には、いつしか類を見ない「〇〇家」という職業を創造したい。という夢は変っていない。
と、ふと政治劇場の人たちのつまらない言葉のゲームを見て、そんなことを考えてしまった。

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