12月16日。ベートーベンの誕生日。ドイツの古都ボン。下の写真にある、自宅の屋根裏で生を受け手から、250年。彼を生んだマリアさんは、今もこのボンの墓地に眠っている。
今年は地元ではもちろん、世界中で大々的なアニバーサリーイベントが企画されていたが、ほとんどがキャンセルもしくはネット配信となった。
クライマックスのコンサートも、ネットで執り行われたとのこと。
250年の間には、スペイン風邪もあり、さらにその昔にも、さまざまな事象が起きていただろう。歴史的な事件も多くあっただろう。
今。この瞬間に生きている私たちは、コロナで残念だと思うけれど、こんな経験も何度も乗り越え、ベートーベンの楽曲は演奏し続けられている。受け継がれている。
コロナがあったからといって、途切れ、消失してしまうのではなく、このときの対応も、後になればきっと、特別な思い出になる。
私も、この12月はわが初恋のベートーベンの生家を改めて訪ね、新たな着想で、今の思いを曲にしたいと思っていたが、それが叶わぬ今、写真、映像、書籍などさまざまな資料を改めて目にしながら、自分なりの思いを綴っておこうと思う。
この冬の宿題だ。
ベートーベンならこのコロナ期をどう見ただろうか?もし、生きていたら・・と思うと、それもわくわくしてくる。
永遠なるものは、あらゆる困難を乗り越えることができる。
運命、田園、悲愴、月光、英雄・・・そして歓喜のうた。
なんと世界観のあるテーマで書き続けたことだろう。(あとで命名されたものもあるだろうが。)
普遍性あるテーマだからこそ、250年経っても、いつまでも新しいのだ。
今だからこそ、改めて感謝したい、わがベートーベン。
楽聖は、私に哲学と歴史と、音楽との接点を教えてくれた。
世界の動き方、精神世界の力強さを身をもって示してくれた。
1770年生まれのベートーベン。大哲学者ヘーゲルも同い年であったことも
改めて頭においておきたい。
ルードヴィッヒ、ありがとう。これからも愛し続けたい。
コロナを越えて、何事も越えて、人類が存在し続ける限り、存在する・・・
とてもそんな人間にはなれないけれど、大きなお手本として、小さいことから
はじめよう。