生身の日々を大切に。

アンガーマネジメントを意識しているものの、どうしても母とのぶつかりあいは
日常茶飯事だ。後でふりかえれば、大したことではなく、笑い話にもなりそうな
話・・。小さなことでいちいち、口喧嘩をしているのだ。
親子というのは、遠慮なく、全力でぶつかりあうものなのだろうか?
知的な親子はそうではないと思うが、なぜか、うちはいつも総力戦だ。

身体がうまく動かなくなってきた母は、そのもどかしさを、コトバに力を込めて
以前に増して強く表現するようになってきており、それを受け留めるのにもパワーが要る。
思いこみやさまざまな記憶がパズルのように頭に入っており、うまくとりだせないでかけらのまま、放出しているような母を少し冷静に見れば、
一生懸命生きようしているんだなと、とそんな風にも見えてくる。


身体が思うように動かなくなってきたことへの不満や苛立ちがコトバに出ているということもあるだろう。
生きる意志がある、自分の存在を伝えたいということだろう。
まだまだ、
喧嘩するだけ、元気。
生身だから、生きようとする。生身だから、ぶつかりあう。

小さくなっていく親にもっと優しくしなければと思いつつも、つい全力でぶつかってしまうのは、こちらも生身だから。

もっとも、こんなコミュニケーションは、長くは続かない。
いつか喧嘩もできなくなる日がくるだろう。

まともなキャッチボールができる今に感謝するとしよう。
施設に入り、コロナとなれば面会もままならない・・・そんな親子も多くおられるなか、こうして全力コミュニケーションできるのは、贅沢なこと。

生身は当たり前ではない。限りある。

反省を繰り返しながら、出来る限り多くのコミュニケーションを、経験を、思い出を作り、増やしていきたい。

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