今日は12月3日。1963年のこの日の夜8時ごろ、地元のお産婆さんのところで、
生まれたらしい。寒い夜だったとか、その時間にプロレスの力道山が・・とか
母が昔言っていたことを、今、思い出す。
今年の誕生日は、なんだかいつもと心持が違う。
親がいなければ、自分は生まれていない。育ってもいない。
このようになったかどうかは別として、ひとりの命、存在として、
こうして生きているのは、親がいてのことだ。
その親たちが、だんだん老化し、人生のラストに向かっている今日。
来年の誕生日に、親はいるのだろうか?生きているだろうか?
ふと、そんなことが頭をよぎる。
であるならば、今日は親に感謝を届ける日にしなければ。
誕生日に親がいるかどうか?なんて、これまで考えたことがなかった。
もともと、誕生日はおめでとう。以上に、誕生させてもらって、生きさせてもらって、ありがとう。と感謝の気持ちを届ける日だと思う。
と、年々その気持ちが強くなっているが、とくに今年は、心身ともに疲弊し、
元気とはいえなくなってきた親たちのことを思うと、
駆けつけてお礼を言いたくなる。
コロナで今、父には会えないが、手紙を書いて、託しておこう。
腰が曲がってしまい、思うように動けなくなってきた母には、ちょっとした美味しいものを届け、一緒にお祝ができれば。
母はよく
「腹を痛めて生まれてきた子」
という表現をしていたことを思い出す。
そこから57年。無事に元気に、幸せに生きてこられたのは、親がいて、そして周囲の皆さまのご支援、導き、ご協力があって・・・。
だから、今日は感謝のバースデー。そして、原点回帰の日とする。
来年も親に感謝ができるように、どうぞ元気でいてほしい。それが今、一番
欲しい誕生日プレゼントだ。