日々、仕事の合間の時間をやりくりしながら、地元への行き来を繰り返す。
朝の通学、通勤時間に移動することも多く、何十年か前の中・高校生だった自分のことを思い出しながら、電車に乗って、実家へ施設へと向かう。
今日はあれを食べさせよう、これを見せよう。
親への手土産や話題もそれなりに考えながら・・・。
年老いた親であるから、少しでもと思い、寄り添ってと思うが、
実際には、まだ口が達者な母とは、ちょっとしたことで喧嘩になる。
親子だからということもあるだろう、真剣に怒りが爆発しそうになることもある。よそのお年寄りに、腹を立てることはまずないが、なぜ親ならば?と自分でも不思議なくらい・・。
また不思議なことに、その口喧嘩はすぐけろり。
振り返れば、この言い合いも楽しいリクレーションだったと思い出すのだろうか。
父とは喧嘩はしない。しなくなった。怒られることがなくなった。
むしろ、最近は黙って人の話を聞き、静かに泣く。
悲しいのだろう。一緒に泣いてしまう。
少しでも楽しい時間をと、カステラを食べたり、お茶を飲んだり・・・。
ほんのささやかな楽しみが、悲しみの癒しになればと思う・・・。
生きていると毎日、いろんな感情を経験する。
生きるとは、まさに喜怒哀楽の物語。
この感情が豊かな方が、ほんとうは豊かな人生といえるのかもしれない。
もちろん、怒哀は少ない方が良い。
喜びと楽しみをどう増やしていくのか・・・。
ではあるが、実際、年老いていくと、不自由さが増す中でその喜びや楽しみの
量よりも、怒り(いらだち)、悲しみが増してしまうのかもしれない。
生きていることは・・・。
今のうちに、喜びと楽しみをたくさん、創造し、吸収していきたい。
感情があることをまず、幸せだと思いたい。