生きてるからこそのコトバ!

父親はもう1年以上前から、メール返信が難しくなった。
それだけに、過去のメール履歴は貴重な思い出であり、私にとって宝である。
先日、ちょっとパニックになったときに、突然、一言だけ意味不明のメールが
送信されてきたが、これはまさに、「俺は生きてるぜ~~」の訴えだったのかもと思う。
一方、母はがんばって、私のメールに応え続けている。
安否確認のために数年前から毎朝6時に送り続けたメール、最近は少し時間が不定期だが、それでも継続している。
意味不明のことば、全部ひらがな、変換ミスで解読が難しいことも多いが、
それでもその意志は読み取ろうとすれば理解できる。
いつも、母のメールを読むときは、
「何が言いたいのだろう」
とかなり想像を働かせて、読む。

まずは、きいてほしい。
が一番であり、
電話ではまず感情が出るが、メールでは少し冷静になれることもあるようだ。
母の場合は、電話とメールとでは人格が違う。こんな人、いるだろうか?

いずれにせよ、何かを発したいということは、
どんな手段であれ、怒りの声であれ、

「わしは、生きているんだぞ~」

の叫び、主張であると思う。

コトバが出るうちが、花である。
これがあるから、コミュニケーションができるのである。
それはたとえ、言い争い、喧嘩であってもコミュニケーション。
しかも親子であれば、喧嘩でも何でもいい。

お年寄りの声に、コトバに、ひとことに耳を傾けよう。
その大切さが最近、だんだんわかってきたような・・・。

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