つんくさんが、声帯を摘出されたとの報に接し、歌手が声帯を失うとは・・。ショックを受けつつも、前向きに生きていこうと自らの現在を世間に公表するのはさぞかしパワーが要ることだろう。と勝手に想像した。声が出せない、音を発して伝えることができない苦悩とは経験しないものには語ることはできない。一方、ロングビーチで電気自動車によるF1グランプリを中継しており、静かなレースを見て不思議な感覚がした。レースといえば、あの騒音があっての迫力だ。音なしで環境にやさしいが、一方、どうも迫力に欠ける。音と一体の世界というものが存在して、音ななくなることで、何か違うものになるのだ。音は存在感にとって大切だ。
逆に音が迷惑ということもある。先日も出張中、ホテルの隣室で突然アラームが鳴り、ずっと鳴りやまず、そのことで大変困った。結果、ホテルのフロントに頼んで確認してもらったが、1時間以上、なり続けることで静寂が破壊されることで、集中力を失った。聴きたくない音が入ってくることで、不快にもなる。聴こえなかったら快適なのに・・・と入ってくる音を恨んだ。
耳が聴こえる、音がある、目が見える・・・人間は考える前に、五感で世界と接している。自らのコミュニケーションの最大の道具はこの五感だ。最近は、その根本も忘れて、外的な道具に依存している人が増えているが、今一度、五感という人間に与えられた能力を意識し、感謝し、これを磨いたらどうだろうか?
ある方から言われたことがある。「今尾さんは声やられたらダメですよ。気を付けてくださいね」。そう、五感に響く仕事がしたいならば、
五体を大切にしなければならない。
そして、ある日、障害をもつことも出てくる可能性はないとはいえないが、そのときにも自分に残された体と感性をフルに生かして、生きる覚悟が必要だ。でも、やっぱり五感五体満足の今日に感謝し、今を生きたいと思う。