松尾芭蕉が詠んだ作品の中らも、とりわけ心の底から素晴らしいと思うのが、やはり長良川の鵜飼いのクライマックスをことを詠ったもの。わがふるさとを訪ね、感動いただき、作品を後世に残していただき、感無量である。
時代は変われども、同じ対象を見て、人間は感動するのだ。ということ自体にも感動する。
真に素晴らしいものは、時代を越えて、いいものなのだ・・と。
その鵜飼い。今年も今日10月15日で本年のプログラムを終了する。
その前日に・・・と思い、今年も船にも載らず、川辺から見学。
地元の人が集まって、堤防に座ってその様子を見入っている。
鵜飼の開始時に空に咲いた花火と、漁火の静けさと幽玄さが不思議に溶け合い、感動を誘う。なぜか、漁火が揺れ、真っ赤な花火が空に咲くとたまらず涙があふれる。水面にうつる赤のインパクトは闇により映える。
芭蕉の句がわがメロディとなり、頭の中を流れ続ける。
おもしろうて、おもしろうて、やがてかなしき うかいかな・・・。
写真は連写したうちの一部だ。
面白い鵜飼のクライマックスは総絡みといわれる、6つの鵜飼い船の漁火が交わる演技。
本当に素晴らしい共創のドラマアートである。
芭蕉の句のごとく、実に人生はとても楽しいけれど、やがて悲しみの闇に包まれていく・・・。と、ちょうど1年前、まさに体験した。
この鵜飼いに感動した翌日に、父が倒れ、それから人生が一変。
まさに、やがて悲しき・・・になってしまった・・・。
鵜飼を見ると、父の元気な状態と、今の状態が交互に浮かぶ。
これから、ずっと毎年10月鵜飼をみるたびに、父のことを思い出すだろう。
そして、人生のフィナーレについて、考えさせられるだろう。
それにしても、本当に美しいわがふるさと。
信長もきっと漁火に惹かれたことだろう。いや、花火かな?
(写真の山上の白い灯は、岐阜城)