愛しき、反面家庭教師?

人は学ぼうとすれば、誰からもいつでも学べる。
本当に「学び」とは、主体的であるときに初めて効果を生む。
そして、学ぶことの大切さは、大人になるにつれ、
年齢を重ねるにつれ、その必要性を感じ、
人によっては後悔をしたり、人によってはそこから始めようと
思ったり・・・。
「学び」とは、本当に一生途切れることがない。
どんな相手、素材も教材になる。そう意識すればそうなる。

日々、本当にこうなってはいけない。こうしたくない。
と思わせてくれる相手が身近にいる。
遠く離れているときは、コミュニケーションの機会も今よりは
少なかったため、その教師ぶりはたまに感じていたけれど、
コミュニケーションをすればするほど、
反面教師ぶりが強烈に発揮されてしまい、悲喜こもごも、はらはらドキドキ
の日々である。

いろんな口論があり、遠慮なく言い合い、心の底からもう本当に!と
思うのであるが、その反面教師もあとになると、
「ごめんね。懲りずにこれからも頼みます」と反省の弁メール。
その一言で、ああ、この人にとって人生はこういうものなんだ。と
また学び。
もちろん、反面教師でない方がいいけれど、避けられない。
この学び、いつかいい思い出になるのだろう。

そう、何を隠そうこの家庭教師とは、わが親のことである。
反面ぶりを見せてくれるうちが、きっと花なんだろう~。






カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク