生誕250年の、この記念すべき年に、コロナで・・。
世界中のベートーベン愛好家も複雑な思いでいることだろう。
私自身も、そのひとり。
今年は、ベートーベンのルーツをもっと研究し、感謝の作品を何かつくりたいと思っていた。当然、再び現地に行く予定をしていた。
もともと予約をしていたのは4月。さすがにこれは無理だと、変更。
今は12月初めの便を確保している。
しかし、これも本当にどうなるかは、ギリギリまでわからないし、可能性は・・・。
そんな厳しい情勢のなか、ますますベートーベンへの思いが募る秋。
最近、毎朝、クラシックの番組で作品が流れる。
「月光」の深い静かなメロディが聴こえてきた。動きをとめて耳を澄ます。
こんなに悲しく美しい音色が・・・。手を止め、目を閉じて、聴き入ってしまう。
ベートーベンは晩年につれ、耳が不自由になった。聴こえないのに、こんな美しい楽曲を多数残した。
障がい者アートなどと、最近よく言うけれど、そんな言葉がない時代から、身体の不自由があろうとも、自らの人生をかけて表現している人がいた。
その代表例がこのベートーベンではないかと思えてならない。
改めて、その視点から彼の作品を鑑賞すると、より一層 感動が深まる。
人としての可能性。すべてを音楽に注いだ人生・・。
楽聖と呼ばれているが、確かにそうだ。
音に魂が宿っている。これが私の人生だ、叫びだ、愛だ・・・すべてが作曲家の生へのメッセージだ。
音楽性だけでなく、その人間性、生き様が250年もの間、人々の心をとらえているのだと思う。
改めて、会いに行きたい。その魂のいまだ住む町へ・・・。無理かな・・・。