額縁の存在。その重要性に気が付き始めたのは、美術館周りをするようになってからだ。絵そのものよりも、額縁に目がいくことも多い。
素晴らしい絵画と言われる作品では、とくに額装が命。名脇役ともいえる。
写真にも、もちろんフレームは必要であるが、絵画にはより一層、額縁の存在が不可欠で、額が変わると作品もガラリ、違ったものになる。表情も価値も変わる。
大好きな画家のひとり、藤田嗣治も、ある時期、自分自身で額縁をつくっていたとも聞いたことがあるが、確かに額も作品の一部であるから、自分の手で完成させたい思いがあれば、そしてそういった才能があれば、額縁まで含めて制作するのは自然な流れと思う。
一方、額がないままの、むき出しの絵画。
実はとても安価で、普段使いの雑貨品をみつけるように、
インスピレーションだけで入手した絵がある。そのうちの一枚。
たとえばブエノスアイレスのアルゼンチンタンゴの発祥の町といわれている
ポカ地区のカミニート広場で、なじみのアーチストから入手したこの絵。
三枚目のCDに挿入したワルツ曲の一部にイメージした、ブエノスアイレス
の老舗カフェを描いた1枚。
もうあれから数年前になろうか。入手したものの、見合う額縁が見当たらず、むき出しで棚にしまい込んでいた。
それだけを見ていると、ちょっと暗くてどうしたもんか・・と表に出さなかった。
コロナの影響もあるのかもしれないが、いえ時間をより意識するようになる。
ふと、季節の変わり目に、絵でも差し替えようといろいろ出し入れしている
うちに、この町、このカフェ、この町の知人たちのことが頭をよぎり、この絵の存在を思い出し、久しぶりに探し出した。あ、あった。あ、懐かしい。
「やっぱり額に入れよう!」と、思いたって、前から気になっていた
名古屋市内の額縁屋にこの絵を持って向かい、ラッキーなことに、ちょうど
ぴったりのサイズの金フレームをみつけることができた。しかも安価。
むき出しの絵のときには、伝わってこなかったブエノスアイレスの輝きが、
タンゴのムードが、午後の大人のカフェタイムが・・・じんじん伝わってきた。
不思議なことに額縁に入れるだけで、作品が生き返り、その価値を高める。
まさに作品の価値を「仕上げる」といった感じだ。
今しばらく、あの町に出向くことはできない。だからこの1枚を毎日眺めながら、地球の裏に住む人々を懐かしむとしよう。
この1枚から、また新たな1曲がうまれるかもしれない。
額縁の存在は、すごい!
額縁で、作品の価値を仕上げる。
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