前世の姉妹と鴨川の河原

ほんとうにいろんな出会いがあるものだ。
京大の近くに、約30年前にみつけた、スジャータというインド?ネパール料理の小さなレストラン。本当に隠れ家のようなお店。でも、興味深かった。
そこの店主がとてもユニークな方で、たちまち虜になった。
友禅染の職人だったのに、病気をされて、瞑想を学び、そしてインドへ旅して・・・。世界的な瞑想家との出会いがあり、その学びを生涯の糧とされ、食堂経営をしながら、約40年。
私が最初にみつけた店は、その後近くに移動。長く京大の学生さんや先生たちが利用、ベジタリアンレストランということや瞑想も体験できるという点でも人気があった。
そのうち行こう、会いに行こうと思いながら月日が流れ、やっと連絡をしようと思ったら、コロナの影響でお店は閉店していた。

その店主に大急ぎで連絡をして、病気でもしていないかと確認、そして再会。
コロナによって閉店。そして、コロナがあって、皮肉なことに、ゆっくりお会いすることができることになった・・・。

「どこで待ち合わせします?」
「喫茶店は、話しづらいし、鴨川で話しましょうか」
と、さすが京都の人だ。
鴨川に座って話す。という再会のスタイルがあるとは!

テレビドラマのようだった。
出町柳の駅で待ち合わせし、鴨川の右岸におりる。
そして新聞を敷いたり、もっている衣類を下に敷いて石の上に座る。
並んで座っている。
飲み物はそれぞれ持参の水やお茶。

ちょっと昭和の女子学生に戻ったような感じだ。
「気持ちいいねえ。」
彼女はインドでの一人旅のことを語り始めた。
人々が密集した、貧困の町が目の前に存在した時に感じたこと、
もう30年以上前のことを昨日のことのように話してくれる。
そして、著名な思想家シュリ・チンモイ氏に出会ったときのこと、
活動拠点ニューヨークに何度も出かけていったこと、そして今はこの師の
残した著作を翻訳して、人に伝え、遺すことを自分の生業にしようと
生き始めていること・・・などなどを語ってくれた。

なんだか、不思議な世界にいるような感覚であり、でも、
それは違和感のない、自然なもうひとつの世界。
「なんだか、おもしろいね。前世、姉妹やったんかもしれんね」
彼女が語る内容に自然に反応するためか、そう言ってくれた。
一度会って10年ほど会えず、また一度会って10年ほど会えず、
そんな途切れ途切れのおつきあいであるが、彼女の純粋な学びの
生き方を長く尊敬している。

純粋な生き方とは。
結局はひとりひとりが平和に、心キレイに生きること。
このことの実践である。

何を信じる、何を尊敬する。それは人の自由であるが、その生きざまを
認め、心を寄せ、お互いに応援することはとても良いことだと思う。

前世、姉妹やったかもしれんね。
そんな風に思う人たちが、現世に何人かいる。
と、そんな気がしている。
人は、時代を越えて、つながっているのかも。
私の中を、周りを日々、みえない観覧車が回っているのかも。


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