長崎市内の中心知から車で30分ほどにある丘の上にある、老人ホーム。キリスト教系の大学が運営する被爆者の方のための施設だ。新潟で活躍されている、長崎出身の伝統芸能家の師匠がそこで暮らしておられる。その芸能家の応援団長である方と一緒にその施設を訪問することになる。今97歳、お元気なうちに、新潟で活躍するその方の師匠を喜ばせたい、その熱き思いに自然にのっかり、ご一緒させていただく。新潟からのお土産をいっぱい抱えたその応援団長について初めての場所に緊張しながらお邪魔する。
施設長であるシスターはとても清らかな表情で私たちを迎え入れてくださった。そしてその「師匠」のお部屋へ向かう。館内には80歳以上に見受けられる方々が、静かに暮らしておられる。東京の日々の喧噪とはまったくの別世界だ。違う時計が動いている感じもする。ああ、今日お会いする方はどんな方だろうか、緊張が高まる。お部屋の入り口から、何度もここを訪問されている応援団長が声をかけるとご本人がベッドの上から、元気に「待ったました!」という表情で迎えてくださる。
私が音楽をやっているということだけで、その元教師は親しみを抱いてくださったのか、お会いしてすぐに会話がはじまった。自然に、ご自身のことをしっかり語ってくださって、今どきの97歳はこんなにお元気?!とびっくり。ふつうに会話がキャッチボールができるのだ。さすが学校の先生をされていた方、そして戦時中を切り抜け、幾多のご苦労を乗り越え、強く生きてこられた方だ。以前に脳梗塞を患い、半身不随になられたが、どうしても歌を歌いたいとの思いで、毎日6時に起き、自分で車椅子にのって、広い館内を抜けベランダに出て発声練習をされて・・という活動が毎朝の習慣になったとのこと。それを続けているうちに声も出て、しっかり会話ができるようになったそうだ。頭の回転が速すぎて、口がついていかないことが時々あるそうだが、そんなことは全く気にならない。とにかく、その元先生は、初対面の私とずっと話をしながら人生をふりかえられている。最初はベッドの上がいいとおっしゃっていたが、私のCDを聴いてみたいと、それが聴ける食堂まで行く!と車いすにのっかり、すいすいと移動。音楽ときけば、自然と元気が湧くようだ。
そして食堂でCDデッキをお借りし、私の曲を聴いていただく。食堂内にピアノの音が流れ始ると、その方が突然、変わった。それまでおしゃべりだったのに、急に無言になり、目を閉じて、そして指でリズムをとっておられるのだ。集中して聴かれている。1曲終わるごとに「変化がある曲ですね~」「これは大変だ」とコメントされるところが素人的ではなく、音楽をやってきた方、教師ならではのコメントだ。そして何曲か聴いてそろそろ・・とおしまいにすると「こんな素敵な音楽を聴けると思っていなかった・・」と涙を流された。そして「今度、ここでコンサートやってください。園長先生にお願いしますから」「長崎ではいつコンサートを?日程を教えてもらったら園長先生にお願いして外出を・・・」などなどおっしゃる。
気が付けば2時間以上、初めての場所、初めての方との時間を過ごさせていただいた。
「がんばって100歳まで生きます!」と最後に言われた言葉がとても力強く、忘れることができない。
桜咲く長崎で、いろんなご苦労を乗り越えられ、強く生きてきたひとりの女性に出会い、心がずしんと重く、そして軽くもなる・・。
これから毎朝6時になると、田舎の母へメールをしながら、車いすに乗って発声練習をされている「師匠」君子さんを思い出すことだろう。
雪国からわざわざ長崎まで来られた応援団長は、この元教師を母親のように思っておられる。その方が「いやー、やっぱり音楽の力はすごいですね。今日はよかったです。」と大変喜んでおられたことも、強く印象に残る。
人は血縁以上に人を強く結ぶこともある。ここでも心族の愛を学ばせていただいた。
97歳の人生の半分ちょっとしかまだ生きていない自分にとって・・・生きるとは執念、生きるとは感動、生きるとは・・・未知数であると
改めて未熟な自分を再認識する。
6時起床、ベランダで発声。元音楽教師100歳への執念。
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