そうとも限らんけれど。

早朝散歩をしているときに、普段見ないもの、見えないものが目に、耳に入ってくる。 とくにカラスの鳴き声は、車も人もいない時間では、より大きく鮮明。 でも、これはあまり得意ではないため、避けて歩く。
ふと、お寺の入り口の掲示板に目がいく。
今月の○○、とか今日の●●、とかありがたいお言葉がよく書いてある。
昼間はあまりそこにも目がいかないが、情報の少ない朝は、とにかくパッと目に入ってくる。

こんな言葉がきれいな筆跡で書かれていた。

父母は常に子を念へども(おもへども)
子は父母を 念はず(おもわず)

とある。 これは、ある高名なお坊様のお言葉のようだ。 これは世の親に向けたメッセージかもしれないが、私はこれを読んで、首を傾げた。
「へ? そうかあ? そうともかぎらんと思うけど」

と思ったのだ。

ここのところ、私から見れば、逆の現象がおきているように感じている。

この高齢化社会では、親であっても、 もはや子供のことを想える状態ではない場合もある。 むしろ、子供の方が四六時中親のことを思い出し、心配している。 これが私から見た現実だ。
おそらく、このお坊さんが活躍された時代、こんな高齢化社会ではなかっただろう。 親が親としての意識があるうちに、皆さん、旅立っていかれたのではないだろうか?

なんども悲しくもある現実であるが、親がいつも思ってくれていた意識の時代が
あったことは間違いない。

どちらでもいいから、相手を思えていたらいいのでは。

思ってもらえることも幸せであるが、その時間を過ぎて、今は思える相手が
いることを喜びとしたい。 ・・・と、思うようにしよう。

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