原爆投下、終戦記念日が続くこの週に、長崎で被爆された経験をもつ、修道士の話に触れるきっかけをもった。私が気に言っているEテレの「こころの時代」の放送である。あまりに興味深い方で、再放送も含め拝聴した。
今は92歳。今も大変お元気で、地元の子供たちに、原爆の恐ろしさについて
語り部としての活動をされているとのこと。
その方のインタビューの中で、心に残る言葉があった。
「人は誰でも、痕跡をいうものをもっている。それを持って生きている。」
痕跡とは、「傷」のこと。
この言葉が心に響いた。
そうだ。人には他人には見えなくても、何らかの傷を負っている。それがカラダの傷である場合も、心のそれである場合も・・・。
そのことで苦しみ続けたり、時間とともに徐々に癒されてはいても、そこまでの苦労が半端ないものであったり、実は今も消えていなかったり、それがきっかけで人生が変わってしまったりすることも・・・。
その人にしかわからない苦しみ、傷がある。
そのことを知らずに人にかかわっていることで、何気なくその傷口に触れることがあるかもしれない。
見えない痕跡を思いやって関わること、また痕跡を経験としてその苦労を乗り越えていこうとすること。他人にも、自分にもこの痕跡の「意識」は大切だと思った。
最近、老いた母にきつい言葉をかけてしまうことがある。
それはもしかしたら、彼女の痕跡に関わることかもしれない。
相手にとっては、それは痛い傷口になるのかもしれない。
思いやりが足りていただろうか?
親子だからといって、遠慮なく傷口を触れてはいないか・・。
など振り返ってみた。
人は心も、病気だけでなく、傷も負う。
幸せとは、心身の健康から生まれ、その健康とは痕跡との向かい方も含まれる。
この修道士さん、長崎在住。尊敬するポーランド人のコルベ神父の研究もされているようだ。いつか、お会いしてみたい。
語り部をされていること自体、痕跡を癒す活動なのかもしれない。
猛暑の中、この方から新たな学びと気づきをいただいた。
コロナが落ち着いたら、ひ一度、できればお会いしてみたい・・。
どうぞ、お元気にお過ごしいただきたい。