長崎に原爆が投下された8月9日。
75年前のこの夏、広島につづき、まさかの二発目の投下。
朝、「いってきまーす」と元気に家を出た。それが家族との最後の別れになった・・。その長い1日のことを語ることができる人たちが、もう高齢になり、
将来100年目のこの日を迎えたとき、どれだけ生き証人がいるだろう・・。
私の周りでも、100歳近かった、被爆者の方が今年のはじめに原爆病院で亡くなられていたことを最近知った。
若い人達が、諸先輩たちの意を受け継ぎ、さまざまな活動をされている。
長崎は日本史上、いち早く開かれていた開港都市として発展した一方、宗教、文化から感染症にいたるまで、さまざまな新しいものも受け入れた(受け入れざるを得なかった)。楽しいことも、つらいことも、変化の少ない平凡な土地に比べたら、まさに悲喜こもごも、また「ちゃんぽん」な街である・・・。
発展と苦難は人生の両面と思うが、長崎という町は、本当にその色合いが濃い。
と、この8月9日に接し、今年は訪ねることが叶わないこの町へ、より深い思いを寄せる。
長崎の鐘が鳴るこの日。
コロナ感染の中、より一層、祈りも静かに深まることだろう。
人間の平和について。せめて、人間が仕掛けることで、平和を破壊することだけはやめてほしい。
愛しい長崎の町の空を思い、ひとり 「長崎の鐘」を口ずさむ。
発展と苦難のくりかえし。この濃厚な経験の積み重ねが、人も町も、魅力を増していくと信じている。