改めて思う、2020というdecade

年始に、今年はどんな一年になるのだろうと仲間と話した時に、一年もそうだけど、この2020年代がどういう10年になるかが気になる、しっかり見届けなくちゃという話をしていた、その時は混迷のオリンピックを終え、どんな日本になってしまうかという不安と想像もあったが、現実は全く違ってきた。
こんなに予測不可能なことが世の中に起きるのかということを、世界中のほとんどの人が思ったはずだ。

東京オリンピックは開催されず、世界中がこの暑い夏にマスクをして生活するはめになった。これは地球上に住む人類の誰一人も想像できなかったこと。
何だか知らないけれど、無駄に費用をかけて作ってきたマークから、箱ものから・・それに合わせて考え用意されたさまざまなサービス、社会システムは、
その出番を失い、何が夢か現実かもわからないほど・・・。

コロナとともに歩む2020年代がはじまった。

パンデミック、ソーシャルディスタンス、テレワーク、ニューノーマル、、、。これまで無関係であった外来語や造語もウイルス感染とともに拡大した。

もうコロナ前に戻ることはない。これは断言できる。

非接触の中、これまでの価値に決別して、心新たに前向きに生きるにはどうすべきか。

借り物の言葉でなく、自分に言葉できちんと整理することから始めねば。

コロナ感染の日々の数字に一喜一憂洗脳され、日付がどんどん進んで、2020年が後半に差し掛かっている。報道に惑わされず、しっかり考えていく力が必要だ。
この2020年。コロナは21世紀を代表する人間に対峙する存在となる。
見えないモノと生きていく。もしかしたら2020年代とは、そんな時代になる?

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