のめりこむ、翻訳者。

翻訳という仕事は尊敬に値する。最近ではネット上の機能により、いとも簡単にそれなりに訳せるようになり、いいか悪いか。便利ではあるが、間違いも多い。しかしそれをわかった上で、ざっと意味を早く知るには、まあ悪くない。
しかし、ビジネス含め真剣なやりとりにおいては、その翻訳ソフトでトラブルになる場合もあるとも聞くし、できる限りこういったものに頼らない方がいい。しかし、自力でここぞ!というときに交渉するのはむつかしいこともある。
3か月ほど前のことだ、ここぞ!のが翻訳が必要で、結果的に2名の方に自分が書いたものを訳していただくことになった。最初に依頼したのは在米歴30年であるということで英語が大変堪能ということでお願いしてみた・・・が、結果的に自分の仕事が忙しいからとどうしても後回しになり、それは良いが、途中で内容的にこれで合っているかな?と心配になることもあった。それは、その方が私のことを内面的にそれほど知らないという点からであった。もちろん、その方のせいではない。ビジネス的なおつきあいをしていたせいだ。先方の事情もあり、途中で交代ということになり、他の方にお願いしたのであるが、この代打が結果的に、最高!素晴らしかった。なぜ最初にその方にお願いしなかったのだろうと思った。その方は近くに住んでおられるが、外交的な仕事を長年されリタイアされて数年、英語で話すところはあまり見たことがないが、現役時代はバリバリだっただろう。そしてなんといってもその方は、私の考え方やキャラクターをよく知ってくださっている。だから自分が書いた文章の裏や深いところまでくみ取って言葉を紡いでくださった。
「これは大変重要な案件だし、相手が相手だからちょっと久しぶりに現役時代に戻る気持ちで気合入れるわ」とおっしゃってくださって短時間に4稿までやってくださった。その間、なんどもなんどもやりとりした。「これはどっち?これはこういう意味?これは??」と、何度も聞いてくださる。真剣に取り組んでくださっている様子が手にとるように伝わってきた。より確かに訳す、的確に、適切にという思いがあふれていた。
そして、最後完成したものをいただき、読みかえしたとき、涙があふれた。よくこんな素敵な英語に仕上げてくださったと。私が乗り移っているようだ。これならば、どんな方にでも会ったことがない人でも、私のこと、思いが伝わるに違いないと思った。
あれから3か月以上が経過し、その翻訳者と久しぶりにお会いする。そのときの気合いの入れよう・・について笑いながら話してくれて「あそこはCONTINUEではなく、あなたのことを思ったらSAIL ONだと思った。その言葉がひらめいたとき、これだ!と思ったよ。」などと、その言葉の選び取るまでの苦労や、浮かんだ瞬間についてまで聞かせていただき、感動を新たにした。言葉の仕事。これは本当は機械にはできない。人間のコミュニケーションをつなぐ大切な、人間的な仕事なのである。その人の考え、思い、温度・・・それも含めていい言葉を探す、選びとることが本当の翻訳だ。素晴らしい方が近くにいてくださり、ひとつひとつ私の思いを行動に移せる、今回、その方はすっかりのめりこんでくださった。次もやろうか?と自ら私に関するテーマを提案してくださる。うれしい限り。コミュニケーションのことについて言語から、哲学、宗教、世界のことまで語り合えるありがたい存在。ずっと見守っていただきたい。時にのめりこむ。そんな人が大好きであるし、そういった仕事ぶりを崇拝する。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク