お宝磨きで、自分も輝く。

40年近く置き去りになった、ピアノたち。
弾き主が、ほとんど鍵盤に触れることがないまま、彼ら彼女らも年をとった。
ピアノは、女性か男性か?考えたこともなかったが、今、改めて実家に
保管されているピアノに、人格を感じる。
私が幼き日に鍵盤を弾きまくった、その軌跡がそのまま残っている。
改めてみると、鍵盤に年輪を感じる。

ピアノに年齢があるのかどうかわからないが、私と一緒に過ごしてきたから
同世代ということにしよう。

そして、実家を離れて調律も優先されず、少々誇りもかぶって、かわいそうな状態になっているのを知り、これではいけないと反省、行動に出る。

そして約20余年ぶりに、調律を依頼。

こんなに放ってこられたから、元通りになるのだろうか・・。
自分が今までピアノを捨てて、好き放題生きてきたことを少し悔い、
ピアノに「ごめんね」と詫びた。

調律師にざっとピアノの調子を見てもらう。
「長年、調律していないのと調整ができていないので、それをすれば、なんとか
なりますよ。壊れているとか、故障とかではないです。いいピアノですから」
「今も価値があるピアノです」
この言葉に、命拾いをしたような気持ちになった。

今、この宝磨きをがんばろうと思う。そしてこの楽器でしっかり練習を再開しようと思う。新しい展開が生まれそうだ。

宝を磨き、自分を磨くとしよう。
私にとって、ピアノはもしかしたら、自分の鏡なのかもしれない。

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