写経、写メならぬ、写ブログ

まだ写経はしたことがない。きっと気持ちが落ち着くのだろうと思うが、お経の意味がわかっていないと、その効果もどうだろうか?座禅をするのと同じ心持で取り組めば良いのだろう。とにかく、写経はありがたい精神の修行時間という印象。
写メールは写真をメールすること。これは日常茶飯事のこと。

さて、ブログを写し書きする。
ちょっといい言葉であれば、メモすることもあるが、このたび、ある方が、本ブログのある日の文章を全部、カリグラフィーペンや毛筆ペンで書きう写されたとのこと。
緊張したけれど、とてもいい気持ちでした。

とのメッセージに、たかがブログ、たかが私のようなものの駄文をそのように生かしてくださる方がおられるとは。
驚きとともに、感銘を受ける。

人に書き写したい。と思っていただけるということは、とてもありがたい。

言葉は生き物であり、言葉は宝になることもできる。逆もあるが。

発信することの重みを、もち続けることが大切と改めて思う。

世のなかに言葉はたくさんあれど、自分にとっていい言葉をみつけ、書きとめることで自分のものにする。自分の手で写すということは、より深く刻み込まれることになる。

コピーする、コピペするのではなく、手で書くということが意味がある。

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