自由の有難み、しみじみ。

香港の人々の抵抗が、心痛い。
表現の自由を奪われることの怖さ。
なんという恐ろしいことをするのだろう。国って、権力って何だろう。
同じことしか考えてはいけない・・・なんて、この時代に果たしてそんなことは
必要なのだろうか?
自由を失う恐怖感。
権力から自由を奪われる。
歴史の間違ったサイクルだ。何とか、逆風が吹き、革命でも起きてほしいと
思ってしまう。

一方、行動の自由を失った老人たち。たとえばわが両親。
だんだん自分で動けなくなり、生活が一変した。
そこにはいら立ちや、怒りや、悲しみがある。
行動の自由は、元気の証拠だ。
今から思えば、車の運転免許を変換したあたりから、父にとっての自由は
奪われた・・、そして心身の老化から歩くのもままならず、ひとりで
どこかに行くということも今となれば難しくなってしまった。
不自由な身である。

いずれも自分だったら、と考える。
表現の自由を奪われるも、行動の自由をなくすのも、耐えられない。
今のマスク着用ひとつとっても、不自由ではある。早く解放されたい。

いい環境で、いつまでも元気に生きられるよう善行を重ねること。
ちょっと神頼みっぽいが、最近はそんな心境でいる。
自由に生きられることを改めて感謝し、それが続くようにと心から願う。


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