いつでも話せる。
家族であれば、そんな風に思ってしまい、断片的な会話を投げかけ、
わかっているつもりのとても雑なキャッチボールを長年してきた。
でも、家族であっても、この先、時間は限られるので、
できる限り丁寧に、やさしく、しかもしっかり、きっちりと
話をしておかねばならないと思う今日この頃。
親子というのは、不思議な存在で、遠慮がない。
どんなに雑で、乱暴なコミュニケーションであっても、
親子だから、わかっている前提。という甘えもあった。
しかし、もうそろそろ人生の仕舞い方を真剣に話し合っておかないと
後悔することになる。
だから、今のうちに、意識も言葉もちゃんとしているうちに、
会話を続けていかねばと思う。
おかげさまで、日々に終われる自宅での家事、雑務に終われる生活から解放され、施設に入ったおかげで、ゆったり過ごせることで、親も自分の人生を
悲喜こもごもに振り返っていることだろう。
できれば、残された時間のなかで、できることはやっておこう。
「一生懸命やっとるでね」
施設での別れ際に、父や母に声をかけると、静かにうなづいた。
心身ともに寄り添う、言葉でもしっかり寄り添う。なかなかむつかしいけれども、悔いないように努力は続けていくつもりだ。
言葉が通じる、会話が成り立つ今のうちに・・・。